「辺見先生、どうなされたのですか?深刻な顔をして。」
「須賀先生…」
とある高校の職員室。
教師という職業も大変なもので、常に悩みは絶えない。
同僚である須賀は、気遣いから言葉をかけた。
「辺見先生、割り切っていかないと体が持ちませんよ。」
須賀の言うことは、もっともであったが、今回の件は、割り切ってはいけない。そのような気がした。
「須賀先生、このレポートを見てもらえますか?」
辺見は、そういうと手に持っていたレポートを須賀に渡した。
『地球温暖化に対する効果的対策』
レポートには、そう書かれている。
辺見は、簡単に説明をした。
「先日、地球温暖化に関するレポート提出を宿題として出しましてね・・・。」
聞きながら、須賀は、レポートをめくる。
「私としてみれば、地球温暖化に対する意識を持ってもらうことが目的としてあったのですが、ちょっと予想外というか、なんと言うか・・・。」
レポートに軽く目を通した須賀は、辺見の言わんとしている事を理解した。
「このレポートは、ある意味、極論ですね。」
「そうなんです。その意見は、ある意味正しい。しかし、危険な考えです。」
「まだ中学を出たばかりの少年が、こんなことをレポートとして提出するなんて・・・。」
「須賀先生もそう思われますか。私も同じです。特にこのくだり、『地球温暖化をもっとも効率よく防ぐ手段は、人間の減少が最も効率が良い・・・』というところなどは、読んでいて、ぞっとしました。」
「いるんですね。こんな生徒が・・・。辺見先生、一度、この生徒と話したほうが、良いのではないですか?」
「その通りなんですが、実は、今日付けで、転校しましてね。」
「そうですか・・・。ところで転校というのは、どちらに?」
「東京です。頭のいい子でしたから、学業で遅れを取るという心配はしていないのですが、このような結論を自分の中だけで完結し続けてしまうと道を外してしまうのではないかと心配になります。」
「同感ですね。これからどのような人間と出会うかによって変わるのでしょうが・・・。」
辺見は、その言葉に頷きながら、少年の顔を思い浮かべた。
「一度、ゆっくりと話をしてみたかったな・・・橘 竜(たちばな りょう)君とは・・・」
5月、連休明け。
この地域の桜は、散り落ち、新緑がしっかりと顔を出している。
この時期は、新しい生活になれてきた新入生、新入社員が様々なルールを理解して溶け込んでいく姿が見える。
一方、溶け込めずにあがき続ける姿も当然あるわけだが・・・。
そんな季節に、一人の高校が電車からホームに降りた。
このあたりでは、見慣れない制服。
背丈は、174〜5といったところで、特別目立つわけではないが、涼しげな瞳がとても印象的である。
名は、橘竜(たちばな りょう)。高校生になったばかりではあったが、母親の仕事の都合で、急遽、引っ越すことになり、数日前に東京にきたばかりだ。
家族は、母と妹。妹は、中学2年生になる。
実の父は、生まれる前に他界。
その後、母は、別の男性と結婚し、彼の妹をもうけたが、離婚。
現在は、家族3人で支えあっている。
今回の転入届けなどの事務処理もジャーナリストとして働く母に代わりに自身が行っている。
その彼は、事前に行っていた編入試験を優秀な成績でパス。
新しい制服は、間に合わなかったが、今日から登校を始めたのだった。
橘は、初日ということもあり、少し早めに職員室に向かった。
職員室に入り、さっそく担任の田島という人を訪ねる。
すると、そのやり取りを耳にした田島と思われる男が、大きく手を振り始めた。
丸刈りで筋肉質なその男は、こちらに歩み寄り、
「担任の田島大典(たじま だいすけ)だ。よろしく!」
と、無駄に高いテンションで、手を差し出した。
その行為に多少、戸惑いながらも、さすがに無視できず、
「今日から、お世話になります。橘です。」
と言って握手を交わした。
そのあと雑談をしながら、時間をつぶしていると8時半のチャイムが鳴った。
すると担任である田島は、少し待っていてくれといって机のほうに戻っていった。
まわりの教師も同様に準備を始めている。
授業前の職員室という珍しい光景を眺めていると、早々に準備を終えた田島が戻ってきた。
「さっきのチャイムが、8時半。このあとの8時40分のチャイムが、朝のホームルーム開始のチャイムだから、それまでに席についていないと遅刻となる。では、行こうか。」
担任である田島に続いて歩く。
どのクラスからも騒がしい話し声が聞こえる。『前の高校と同じだな。』と橘は、心の中で呟いた。
担任の田島が、106と書かれた教室の前で止まる。
「ここだから。」
といって、教室のドアを開ける。
田島に続いて、教室に入るとざわついていた教室が、静まり返った。
しかし、それは一瞬で、すぐにざわつきは、復活した。
「静かに。これから紹介するから、皆、席に着け!」
田島は、そういうと教壇に手をついて寄りかかった。
その間も橘に対して、好奇な目は向けられている。
正直、気分のいいものではないが、気にしていないことをアピールするように涼しい顔を演じる。
そうこうしていると8時40分のチャイムが鳴った。
チャイムと同時にドタバタと駆け込んでくる数人の生徒。
それらが落ち着いたころ田島は口を開いた。
「よし。出席をとる前に転入生を紹介する。橘竜くんだ。」
そういって、黒板に名前を書く。
「では、橘君、簡単に自己紹介をしてもらっていいかな?」
「はい。」
橘は、快く頷き、言葉を続けた。
「橘竜です。先日、名古屋から来たばかりで、分からないことだらけです。いろいろと教えてくれると助かります。それと、下の名前は、坂本竜馬から付けたらしく、『りゅう』ではなく、『りょう』と読みます。簡単ではありますが以上です。」
自己紹介を終えると、席に着いた。
場所は、最後尾、廊下側。
『悪くない席だ。』
橘は、心の中で呟き席についた。